首都圏5球場巨人戦観戦記

東京ドームを中心に現地観戦を通じて、見て聞いて感じたことを気ままに綴ります。

等価交換と不等価交換について

昨夜の神宮球場の観戦時に、ふと着想を得ましたので、備忘録的に記載します。

昨夜は、450円のチューハイと750円のビールを買いました。

450円のチューハイは、私にとって等価交換商品です。
商品の価格は、一般に客観的部分と主観的部分の2つの要素で構成されていると仮定します。

例:商品価格(450円)=[客観的部分]+[主観的部分]

ビールを飲んでいると味が同じなので、途中でチューハイを挟みたくなります。
その場合、チューハイの[客観的部分]=チューハイが通常有する味覚・分量等
を主に評価して、購入します。
逆に言えば、誰から買う(=売り子さん)かは余り関係ありません。

一方で、750円のビールは、私にとって不等価交換商品です。

[客観的部分]=ビールが通常有する味覚・分量等は、
銘柄を別にすればほぼ同じですので、差別化要素は、
[主観的部分]=誰から買う(=売り子さん)次第となります。

そして、[客観的部分]は、その名の通り、一般的に定まり得ると思いますが、
[主観的部分]は、その名の通り、買い手の気持ち次第です。
[主観的部分]は、変動幅が大きくプラスが伸びることもあれば、
マイナス側に振れる場合もあります。

よって、[主観的部分]次第によって、
客観的には750円のビールですが、
売り子さんAさんから買う場合には、当該購入行為は750円以上の価値を有するため、
売り子Aビール>750円 の不等価関係が成立し、差額がプラスですので、
購入行為が促進されます。

逆に、売り子Bさんは、私にとっての[主観的部分]はマイナス評価ですので、
売り子Bビール<750円 の不等価関係が成立し、差額がマイナスですので、
購入行為に至ることはありません。

今後、世の中のAI化が進んで、[客観的部分]でほぼ構成されるような商品は、
差別性が乏しいため価格競争に陥りコモディティ化していくのでしょうが、
[主観的部分]は、買い手の気持ち次第なので、価格競争にはなりにくいかと思います。
ただし問題は、[主観的部分]は、買い手の気持ち次第なので、
20世紀型の画一的な大量生産・大量消費モデルには合致しないかと思います。

ある人にとっては、高評価の[主観的部分]が、隣の別人には低評価で、
その逆もまたしかりなので、個別対応しか対策がないのかもしれません。

結論としては、単純に、昨夜の試合を通じて、
「何であの子から買うのだろう」と疑問を感じる場面に遭遇しましたので、
備忘録的に記載しました。
もちろん私自身についても、他の観客から見て
「何であの子から買うのだろう」と思われているかも知れませんが…

では、また。